プロフィール
木内 寛之(きうち ひろゆき)
所属:リストデベロップメント株式会社 代表取締役社長
経歴:筑波大学第3学群基礎工学類卒業 2013年中途入社
新卒で鹿島建設に入社。日系・外資系不動産ファンドを数社経験した後、リストデベロップメントへ入社。
2019年より取締役社長就任。趣味はトライアスロン。
偶然と勢いによって、不動産業界でのキャリアが始まった
――まずは木内さんがどんな学生生活を送っていたのか教えてください。
勉強と部活で充実した大学生活でした。授業は毎日5限か6限までみっちり入っていて、17時に終わります。そこから21時まで部活をやって…という生活でしたね。しかも当時は土曜日も授業があって。アルバイトをする暇が無いくらい忙しかったですね(笑)。
アメフト部に所属していたのですが、練習が厳しくて最初は何度も入部を後悔しました。でも続けていくうちに試合に出られるようになって楽しくなりましたね。
2年生の時に大学リーグの2部から1部へ昇格しましたし、3年生以降はレギュラーに定着、4年生では関東選抜にも選んでもらえました。また、幹部も務め、100人近くの部員をまとめていく経験もさせてもらいました。
部活が忙しすぎて4年生は勉強をサボるようになってしまい、教授に呼び出された苦い思い出もありますが、全体的には楽しい大学生活だったと感じています。
――そんな中、就職活動はどんな感じでやっていたのですか?
バブルが弾けたタイミングだったので就職マーケットとしては厳しい時代でした。部活があって就活のスタート自体も早い方ではなかったのですが、野村證券、IBM、鹿島建設と幸いにも3社から内定をいただくことができました。
鹿島建設への入社を決めるのですが、決して建設・不動産業界に強い興味があったわけではなくて(笑)。鹿島建設はアメリカンフットボールのクラブチームを抱えており、3歳上の先輩が鹿島建設で活躍していました。非常に強いチームで、日本一を目指せるのであれば面白いなと思ったことが入社の決め手でした。
私の決め方がこんな感じだったので、しっかりと将来を見据えた上で就職活動をしている今の学生の皆さんは純粋にすごいなと感じます。
入社後はマンション分譲をはじめとする開発部門に配属。そこから私の不動産のキャリアが始まります。

同世代の活躍を見て漠然と不安を感じていた
――思い切った就職活動だったと思いますが、入社後はどうだったのでしょうか?
鹿島建設は、非常にいい会社でした。会社として安定もしていたし、福利厚生も整っていて非常に働きやすかったです。
ただ、優秀な社員が外資系の会社に引き抜かれていくのを間近で見ており、「このままこの会社にいて自分は成長できるのだろうか?」という焦りを漠然と感じるようになりました。
いろいろな悩みもありつつ、結果として35歳での転職を決意することとなります。
――大きな決断だったと思いますが、なにかきっかけがあったのでしょうか?
